アマノイの黒石

updated: 2015.10.01.

膨大な人力による豊かな表現。
アマノイの黒石

 「お前のレシーブは、なかなかよかったぞ」と、シャツが破れたのも気にせず、オーストラリア人GMが力強く握手を求めてきた。従業員対抗のビーチバレーを観戦していたら、お前もどうだと言われて、砂まみれになった。ゼイゼイとする息を整えながら、並んで、穏やかな海を眺めていた。
 「この楽園は客室数30室余りだが、スタッフが200人以上いるので、こんなイベントもするんだよ」。ここは、2014年にオープンした「アマノイ」。ホーチミンからローカルラインで1時間ほどフライトし、そこから出迎えの車で2時間弱。べトナムの国立自然公園の森の中に位置している。
 「今朝クリフプールで、『Coming Home』したんだよ」と、彼にふと、漏らしてしまった。つまり、誰もいないプールに素っ裸で飛び込むお茶目をしたのだ。彼は、ちょっと遠くの海を見つめ、「Good Job!」と呟いた。1978年公開の映画「帰郷」(Coming Home)は、男が裸で海に飛び込むカットで終わる。出征した夫を待つジェーン・フォンダの、傷ついた帰還兵への眼差しが同情から微妙な恋心に揺れ動く葛藤で、反戦映画への名作へと仕上げた。学生だった私には染みました。サザンの「夏をあきらめて」のジャケットも、素敵なお尻を見せて海に飛び込むデザインだった。男は、裸で海に飛び込みたくなる時があるのだ。
 「アマンは、いつも豊かで貧しく、論理的かつ情緒的だ」。建物はアマンらしく、中央棟をはじめ、べトナムの民家風の棟が、森の中に埋め込まれている。小さな客室であるヴィラですらも、構造は鉄骨造だ。入り口とベッドを中心にシンメトリー構成。軸線が通っているのは、ビーチ棟でも複数の客室があるパヴィリオンタイプにおいても共通である。用いる材料は極めて抑制され、黒石、灰色の瓦、黒の左官の研ぎ出し、そして、木。たったこれだけだ。構造体の柱はグレーに塗られ、庭は黒石を砕き、敷き詰められている。プールの縁も中も黒色で、神秘的な沼のようだ。この濃淡の世界ゆえに、所々に飾られている花の白さが目に染みる。そして注目すべきは、鈍く磨かれた床の黒石である。1m角ぐらい切り出され、目地なしで敷き詰めている。そして、その石1枚はエッジの部分でほんの少しだけ曲面を持っている。機械で磨くとこんな微妙なことは不可能で、膨大な人力を費やさないとできない仕事だ。べトナムは、アジアは、まだ貧しい。それゆえに、こんなに豊かな表現を得ている。
 「お前は、やはり仏教徒だな。禅問答のようだ!」「そうだ。かつて、アメリカ大使館の前で抗議して焼身自殺した僧侶を、人間バーベキューと切り捨てたマダム・ヌーとは違う。」「米国人もオーストラリアの若者も韓国の若者も、あの戦争ではたくさん血を流した」。彼は、海を見ながら小さく呟いた。