ジオ・ポンティの皮膚感

updated: 2015.07.01.

500年続く普遍の世界。
ジオ・ポンティの皮膚感

 絹の淡いゴールドに輝くウェディングドレスを覗き込む顔がガラスに浮かんでいる。髪は長く伸び、無精ひげを蓄え、痩せこけ、眼だけはギョロリとしている。ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院にあるダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の中の人物かと怯えたら、三十数年前の私であった。500年前の傑作といわれる作品から何が得られるのか、自分がどこに向かっているのかもわからない不安な若者の餓えが、そこには映っていたのだと思う。
 ミラノは第二次世界大戦の折、空爆によりスカラ座をはじめ多くの建物が焼失した。最後の晩餐がある修道院も直撃を受け、屋根は吹っ飛んだが壁画は土嚢が積まれ奇跡的に残った。私が最初に訪れた頃は修復の最中(20年間ぐらい行なっていた)だったが、今と違い、予約も入場制限も不要で、半日ぐらい過ごしていた。この名画は透視図で、キリストの額に焦点を集約して、修道僧が一体となって食事するように描かれていた。
 外に出て街を歩けば、当時も今もショーウィンドウにはドレス、スーツ、家具、タイルと、どれもがシャープで華やかなラインのデザインを持ち、存在をアピールしている。それにしても、ミラノのショーウィンドウは商品もさることながら、展示法そのものの切れ味といい、世界で一番だと思う。脱線すると、地下鉄などのポスターなどのグラフィック表現は、ロンドンが一番だと思う。これは勝手な想像だが、大英帝国が凋落して黄昏などと揶揄され、若者の失業率が40%にも達する中、そのはけ口をパンクか、グラフィックなデザイン(実物を造る金がない)にでも走るしかなかった副産物だと思う。
 ショーウィンドウに映った怯えた顔が見上げた先に、エッジが限りなく細い高層ビルがひとつ、屹立していた。翌日、髭を剃り、髪に櫛を当て、ネクタイを締めて、ボロジャケットを羽織り訪ねた。そこがタイヤメーカー、ピレリの本社ビルとわかったので、門前払いをされないよう最大限の配慮をして、見学させて欲しい旨をフランス人の受付嬢に、最上級に下手なフランス語でお願いした。下手な語学を気の毒と思ってくれたのか、30分ほど待てば案内してくれるという。現れたのは、ピッシと寸部の隙もないスーツを纏った何とかピレリさんという役員だった。丁寧に下階から見せてくれて、最後に最上階の役員室で、建物の設計者であるジオ・ポンティデザインの食堂椅子、スーパーレッジェーラ(世界一軽くシャープなデザインで有名)に座り、ポンティデザインのスプーンとお皿でランチまでご馳走していただく僥倖であった。後日、ポンティのドローイングを調べていたら、眼と透視図のラインが描かれていた。500年経過しても、ここは透視図の世界で暮らしていて、この皮膚感覚は普遍なのだと思い知らされた。