デジタルな「ギンザ シックス」

updated: 2017.06.01.

個々のファサードの連なりで構成。
デジタルな「ギンザ シックス」

 マーラーを毎日のように聴いていた時期があった。高校時代、芸大の油絵志望の髪の長い同級生と一緒に、放課後の美術室で石膏デッサンに励んでいた頃だ。美術教師か彼女の趣味か、マーラーの交響曲1番を結構な音量、かつ良質な音で教室を満たしながら、ミロのビーナスやらヘルメスやらギリシャ彫刻の模造に向き合っていた。それもロンドンフィルやNYフィルバージョンがあって、ちょっぴり耳年増になったような気がしていた。余談だが、その先生は教室を出る時に鍵を掛ける癖があり、われわれは軟禁されることしばしであった。学年でもちょっと有名な美人の彼女には、「誘惑しないの?」とからかわれる始末。だから今でも、マーラーを聴くと、彼女の長い髪と香りを思い出す。
 そんなマーラーなのに、である。最近、ロンドンフィルの録音をデジタルのハイレゾイヤホンで偶然、聴いた。衝撃であった。それぞれの楽器の音が明瞭で、全体としてもキラキラしている。これは明らかに録音技術の差である。かつては、教会みたいなところで、天井から何本かのマイクを釣り下げ、マスとしての響きとして録音していた。最近は、個々の楽器にマイクを取り付け、合成できる。極端な話、オーケストラ50人を、まったく別に録音しても、一つの交響曲をつくり上げられる。そのようにデジタル化したバージョンは、豪華でキラキラした雰囲気は出しやすい。ただ、マスとしての響きの曖昧さ、時折入るスクラッチノイズ(個人的思い出かも)もなく、そして、コンセプトも曖昧になる。
「ギンザ シックス」が東京・銀座にオープンした。ディオール、ヴァレンチノ、セリーヌなどなど、果ては銀行のファサードまでが連なる。一つの百貨店が威厳を構え、その中に個々が出店するのとはまったく異なる風景が広がっている。考えてみれば、百貨店の構成もバイヤーの目利きに頼っていた時代から、どれだけ名が通ったショップに入店してもらうかに変化したわけだから、構成そのもののファサードになる方が自然の流れだったともいえる。なおかつ、7階以上は巨大なオフィスだ。実のところ、世界のギンザにおいても上階はテナントが入りにくく、家賃は路面部分の10分の1というところもめずらしくない。ここが儲け代になっているのは明白だ。「庇を貸して母屋を取られる」というのは確かな格言であるが、今や「庇の上に母屋が建つ」のかもしれない。果たして、旅館・ホテルは例外なのか。ホテルの恭しい接客の喫茶店よりも、“スタバ”が入っている方がお客は嬉しいかもしれない。専門店が連なる上に客室が存在するという構成が、成立しないといえるだろうか?
 キラキラした現代のマーラーに感心しながらも、あのスクラッチノイズが懐かしいと思うのは、私の単なる感傷なのかもしれない。