ピーター・ズントーの野の教会

updated: 2017.02.01.

ピーター・ズントーの野の教会。
建築を超えた宝石のような作品

 独・ケルン郊外の何の変哲もない畑である。2006年、直径200Φぐらいの丸太が、百数十本、円錐形テントのように組み上げられた。その周りに砂利、黄色い砂、白色セメント、コンクリートを厚さ1m以上、高さ1mほど積み上げ、突き固める。数週間して固まってから、再び、1mぐらい積み上げる。この工法を版築といい、中国の黄河地方が有名で、万里の長城も版築で造られた。かつては日本でも、土塀を造る時に用いられた。このやや黄色味を帯びた土の塊を積み上げること二十数回。職人的な技は不要だ。ひたすら人力で、根気強い作業を繰り返す。
 高さは25mほどになった。ここで内部を「燻製」状に、ゆっくりと燃やし続けること、約3週間。テント状に組まれた丸太は、すっかり炭と化した。これを上から引き抜いた。果たして、残ったものは、煤だらけの不思議な空間だ。入口は狭く低い。奥に行くに連れ円錐状に高くなり、見上げると、ポツンと青空が見える。丸太を拘束するために壁に開けた70Φ程度の穴には吹きガラスが埋め込まれ、至るところで煌めいている。床には錫と鉛とアンチモンを溶かして流し込み、わずかに窪みを造り、水盤としている。これに映り込んだ青空が、沁みる。何かに包まれている不思議な感じだ。女性の陰部に潜り込んだかの恍惚さえ覚えるような、小さなチャペルができ上がった。建築という言葉ではなく、一つの宝石として讃えたい。
 この小さいけれども偉大な工事は、驚くべきことに、そのほとんどがオーナーである農家夫妻一族によるセルフビルトで造られた。設計者であるピーター・ズントーも、自分で造るという条件で設計を引き受け、フィーは寄進したという。日本でこれが造れるかと、帰りの飛行機の中で考えた。そもそも屋根がないから、建築物か?という問いがあるが、まあ、屋根に穴が開いているだけと考えるから、「建築」か。都市計画のエリア外だったら許認可もいらないから、さまざまな建築基準法の仕様規定も適用されないか、と順繰りに考えていくと、結論は、日本でもできると思い、愕然とした。
 設計は建築家が担当するが、この中でも構造、設備・電気と専門は分かれていく。施工は施工会社にといっても、内容は細分化していて、ゼネコンも内装は内装会社に手配し、そこからカーペット、壁紙、家具と、また、細かく業者が分かれていく。個々の内容は誰が把握しているのか、不思議な生産システムが強くなり過ぎているようにも思う。三次元CGがこれほど普及しても、建築は、結局は人々の手に頼らなければ組み立てられない。すべての建築に最先端技術が必要でないこともたくさんあるので、自ら造り上げることの方が、何かを表現できるかもしれない。宝石の中に潜り込み、日常に慣らされていく自分に懺悔した。