フィリップ・ジョンソンの変容

updated: 2017.10.01.

モダニズム建築の旗手
フィリップ・ジョンソンの変容

 NYの五番街。スカイスクレイパーが競演する、頂上部のパルテノン神殿のような三角形、赤い御影石の外壁、縦長の様式建築のような窓。建築後40年が経過しようとしても、なお異才を放っている。AT&Tビル、現ソニープラザ(1979年竣工)だ。ロビーに入ると、その名の通りゴールデン・ボーイの彫像が、黄金のボールト天井に腕を突き出して立っている。ちょっと、いや、かなりロマネスクの教会のような空間だ。先日、立ち寄ったら、大きなスパイダーマンが天井に張り付いていて、そうだ、ここはアメリカだと、思い出させてくれる。荘厳にはほど遠く、上質な成金趣味だが、個人的には実は嫌いではない。この歴史の様式にデザインの拠り所を求めるのを「ポストモダン」(モダンの後に来るもの)と呼んで、日本ではバブル時期と一緒になり、悪名が高く、過去のものとして葬りさられている。ちなみに、私はここでポストモダンのデザインを再評価しようとしているのではないので、誤解なきように。
 1990年代、この歴史や中近東にデザインモチーフを求めたのは、モダン建築がボア(退屈)だからだと、アメリカ建築界の大立者、フィリップ・ジョンソン。親から譲られた株で若くして大金持ちになり、クライアントに媚びることもなく(私はそんなことはないと思っている。お金に自由だからこそ、クライントにも自由に物が言えたのだ)、80歳の時、自らがゲイであることをカミングアウトした(家族を持つこともなく、あの知的な活動とバイタリティで、皆がそうだとは思っていたが、改めてインタビューで答えていたのには驚いた)。そして、98歳で初期の代表作、グラスハウス(49年竣工)のベッドの上で死んだ。
 ガラスを四方で囲まれ、カーテンもブラインドも空調もない文字通りガラスのオブジェは、広大な敷地の中の緩やかな斜面の途中に、10棟の自宅群の中の一つとして、佇んでいる。住むことなどできないだろうと思う人々の期待を裏切って、彼は好んで住んでいた。今はミュージアムとなっている。
 彼は若い時、ナチズムに共鳴し、ポーランド侵攻にも参加。戦後MOMAのキュレーターになって「モダン」建築をアメリカに導入し、シーグラムビル、グラスハウスという誰もが理解しやすいように、鉄のシャープなデザインのお手本を示した。自宅の入口ゲートの脇には、デザインされた、脱構築主義の棟まである。ここ半世紀の建築デザインの展示場そのものである。彼のデザインスタイルの節操のなさは、建築にスタイルなどいらないことを改めて教えてくれる。必要なのは、素材と光だけだとシニカルに、かつ、冷静に理解していた彼の知的な操作に、マスコミをはじめ、クライアント、後を歩むわれわれ、皆がこの敬愛すべきキャラクターに翻弄された。