マルコ・デ・カナヴェーゼス、シザの教会

updated: 2007.12.01.

ポルトガル、辺境のデザイン

 遅ればせながら休みを取り、ポルトガル・スペインに行ってきた秋があった。いつもの一人旅、リスボンから入り車で約1200km、終わりは巡礼の最終地、サンチャゴ・デ・コンポステーラと決めていた。徒歩や自転車の巡礼者とは手段や動機は違うかもしれない。しかし、カテドラル前広場で、青空をバックに夕陽を思いっきり浴びて峻立するこの豊かな装飾をもつ石積み壁を、時間を忘れて見上げている時の達成感には、共通するものを感じた。全身に風が吹き抜けていた。
 出発前から、想像はしていたが、それ以上に、ポルトガルは充分すぎるほどの辺境であり、困難な旅であった。直接の目的は、アルヴァロ・シザという建築家の作品を一つひとつ訪ねることにしてあった。かつて、ナポレオンが「ピレネー越えたら、そこはアフリカだ」と言ったとされるが、ポルトガルは、さらに、スペインという強大な国が豊かな大地を支配した残りを預かっているというような、乾燥した土地であった。
 パリからも、マドリッドからさえもはるか離れたポルトガルのさらに奥地に、シザは世界に通じる現代建築を丹念に造っていた。そんな田舎を訪れる日本人の私も、よほど物好きと言えるのかもしれない。言い換えれば、シザという建築家がそれだけ偉大だということだ。私の興味も、まさにそこにあった。現代建築の最先端をわかりやすく見るなら、オランダを訪ねたほうが早い。アムステルダムやロッテルダムを回れば、最先端デザインの革新性に惹かれ、感激することだろうし、日本の雑誌でもてはやされている有名建築家の作品が、彼らのコンセプトの単なる歪曲に過ぎないと気付きもするだろう。
 ポルトガルやフィンランドは、ユーロ圏とはいえ、貧しい辺境の地であり、それゆえに自分達の歴史とデザインを背負って生きている。だからこそ、歴史を現代デザインに具現化したフィンランドのアルヴァ・アアルトや、ポルトガルのシザが尊敬されているのだ。そして、彼らの作品は、時代を超えて愛され、愛され続けている。
 翻って、日本も「極東」の辺境の地だ。その中でも、地方都市の皆が皆、六本木にあるようなデザインをめざして良いわけもなく、その必然性もない。日本の山々は深く、その街、集落には微妙な個性が存在する。その反面、交通も情報伝達網も整備され、「先端デザイン」が良しとされている傾向がある。
 建築は、その寿命を考えれば、息の長いデザインである。流行りのデザイナーは、地方の微細な差などは切り捨てることこそが、デザインと思っているのではないかと思うほどである。
 アドバタイジングを生業にしている多くの人も、本物と偽者の差を感じることもなく、一方的に情報を流し続けている。また、発注者も、それを「新しい」として単純に受け入れてしまっていることが多い。今の時代にあってこそ、その土地に流れる時間文脈を手がかりにして、「真摯につくる」ことが求められている。

シザ教会