ミニマリズムの中の艶

updated: 2015.06.01.

映画『パリ、テキサス』に見た
ミニマリズムの中の艶

 高村 薫は、ある小説の中でこう述べている。「女が嫌いだって、ナスターシャ・キンスキーは別だ。『パリ、テキサス』の、ああ、あの黄色い絵の具を塗ったような金髪の―中略―赤いゼリービーンズのような唇を震わせながら、こちらに向かってささやきかけてくる女優の顔がある。」『パリ、テキサス』はヴィム・ヴェンダース監督の代表作で、1984年に発表されたロードムービーの金字塔である。砂漠を旅して、最後に金髪の真っ赤な唇をした美女(ナスターシャ・キンスキー)に辿りつく展開。要素が少なく、テキサスの高層現代建築群もなぜか実在感が乏しい風景に見え、そして、行き着く先が金髪の美女(荒っぽい解説だが)。高村 薫に指摘されて、改めて映画を見た当時の頭の後ろが痺れるような陶酔を思い出した。
 砂漠の風景、要素が少なく、それでいて豊かな表現。これって、ブランドショップに多く見られるミニマムな表現と似ている。たとえば、ジョン・ポーソンが世界中で手掛けるカルバン・クラインのファサード。日本、シンガポール、香港と、どこも同じ灰色の石が張られている。この石を言葉で表現するのは難しい。穏やかなグレー色、天然もので個々に少しだけ違うのだ。そして、ミニマムな手法にもかかわらず、壁面全体は豊かな表情をつくり出すことに成功している。
 要素を排除していく「引き算」の手法は、日本人のモノづくりの得意とするところだ。とりわけ、工業製品は、たとえば携帯はほとんどのものがエッジレスだ。これは、3Dプリンターの発達に見られるように、3次元での加工が可能になってきたからなのだが、個人的には、この点に着目したデザインはこの10年間、物の新しい姿を生み出していくと思う。今、売れっ子の佐藤オオキがデザインする椅子で、等ピッチの細いパイプを曲げて、座・背・脚を一体とした作品がある。マルセル・ブロイヤーが初めてパイプを曲げて椅子を造ったのが25年、この時の座と背には皮が張ってあったが、3次元で構成していくという概念の中では、今もその延長線上にある。
 エッジをなくし、要素を減らしていくのが、今時のデザインのように見える時がある。とても魅力的だが、危ない!惑わされてはいけない!要素を剥ぎとっていく先は、単なるbore(退屈)に陥りやすい。ジョン・ポーソンも、18世紀初頭に打ち捨てられた馬小屋を改装して、馬と娘と共に暮らす私の憧れの家を造った。技法はミニマムの極地なのだが、外壁の古いレンガの多くは残され、屋根の雑木の小屋組はそのままだ。それらは、白い壁・グレーのモルタルの床とのコントラストにより、空間に豊穣さと色気をもたらしている。そう、ミニマムな表現に、最後の艶を付けるのを忘れないでほしい。砂漠の旅の行く着く先に、金髪で真っ赤な唇を持つ美女が待っているように。