伊勢「おかげ横丁」

updated: 2016.07.01.

伊勢「おかげ横丁」。
20年にわたる街づくり

「そこに正座しろ!何で、この階段にノンスリップの溝があるんだ!」と怒鳴られ、きょとんとしながら板の間に正座した。20年以上前、伊勢内宮前のおかげ横丁の現場での出来事だ。オーナーの(株)赤福の濵田益嗣社長(当時)のお怒りは、半端ではなかった。厚い無垢の板で階段をつくり、滑り止めに溝をわざわざ設けたのが、逆鱗に触れたようだった。「明治の時代は、みな素足なんだ。溝があるわけないだろ!」とのことだった。そんなことは、学生時代に民家調査に駆り出され、図面を描いていたから知っていた。「ストッキングの女性には危険です!」と反論したが、火に油を注ぐ羽目になり、30分以上お説教は続き、板の間の正座で気を失いそうになった。こう書くと、濵田オーナーは傲慢な人のようだが、然に非ず。建築家をかわいがり、芸術全般にも造詣が深かった。おかげ横丁にある建物一つひとつのタテ格子は、その建物の性格に合わせて巾を太くしたり、奥行も調整した。最初の頃は、いつも呼び出されては説教されていた。そのうちコツがわかり、格子だけでなく、いろんなデザインを勝手につくるようになった。ダメなら、またつくり直せばいいやと開き直ってきた。不思議なことに、自分がおもしろいと信じたところは、ものすごく褒められた。単なる回顧主義者ではなく、目利きであり、古き良きタイプのパトロンだったように思う。
 御存知のように、伊勢神宮は式年遷宮といって、20年ごとに造り替えられる。それは本殿だけではなく、末社、鳥居まで、すべてである。もちろん短期間にできるわけもないので、20年の間、延々と工房などで造られ続けている。遷宮やお正月は人々でにぎやかな通りも、前回(1993年)の頃の平日の午後は、閑散としていた。観光客の多くは午前中、宇治橋のところでバスを降り、この時に赤福を注文。1時間ほど参拝して戻れば、赤福が届けられており、鳥羽あたりに宿泊するために出発し、街は素通りするというパターンでだった。
 何とか街を散策してもらいたい。今でいう「滞在型」の街づくりができないかという問いのための最大の仕掛けが、おかげ横丁であった。濵田オーナーは、われわれ設計者に対して、いろいろおもしろい問いかけをして、悶絶させてくれた。曰く、「赤福の本店は100年前のものでも、デザイン的に廃れていない。100年持つデザインにしろ。その方が、結果的にコスト減になる。」「街は、その前後50年の蓄積があってこそ、おもしろい! 」「街がおもしろくなるのは、次の遷宮の時ぐらいからだ」などなど、名言集をつくりたいほどだ。あれから、おかげ横丁のつくり方、デザインについて、尋ねられることが多い。表面的なデザインの作法ばかりではなく、プロデュサーと時間の力によって成り立っていると、改めて感じる。