奈良ホテル 瓦の美しさと凄み

updated: 2016.05.01.

奈良ホテル
瓦の美しさと凄み

 夏の雷雨をやり過ごすため、唐招提寺の山門のところに佇み、金堂の屋根の瓦が、刻一刻と変わる表情に見とれ、時間を忘れて立ち尽くしていた。そして、数学家から建築家への変更を深く決意した。この逸話は、建築家、篠原一男の話だ。彼は東北大学数学を卒業して大学で教職まで得たが、建築を志して東京工業大学に入り直し、設計活動をしながら教鞭を執り、数多くの建築家を輩出した。坂本一成、長谷川逸子、書き出せばキリがない。また、直接教えを受けていなくても、私もそうだが、彼の思想の影響を受けなかった彼以降の日本の建築家は存在するだろうか?海外においても然りだ。
 その抽象化の大思想家である篠原をもってして、魅了された古建築の瓦屋根。鎌倉時代の寺の屋根勾配は、10分の6程度だから、現在のわれわれからすると、ほとんど峻立する壁のように見える。その軒の下に深い陰影が漂う、日本建築の基本的な骨格だ。余談だが、尊敬するアメリカの建築家 チャールズ・ムーアが来日した際、同行したことがある。彼のスケッチは筆で屋根を描き、軒下は薄墨を漂わせているだけであった。瓦屋根という強大な壁面(かなり陰影がある)は、陽が差せば鈍く反射し、雨に打たれれば黒くマットに沈む。瓦という素材だけが持つ魅力のひとつだ。
 辰野金吾は、奈良ホテルに瓦屋根を載せた。奈良においては、洋風な表現は議会でも揉めたことを充分に踏まえた上での決断なのだが、私は、彼はそこにこだわらなくても、自分の表現は可能であると考えたのではないだろうか、と妄想する。100年後に奈良ホテルに携わることになった同業の私も同意見だ。奈良ホテル本館は瓦屋根は載っているが、実は軒の出は短く、壁部分が大きく、窓は縦長で、洋風壁の組石造のような構成だ。ただ、頭に瓦があるに過ぎない。和風の装いを纏いながら、迎賓館としての華やかさのある建物を造ろうとした辰野金吾の戦略は、なかなか大人の選択であった。
 これに挑戦したのは、昭和の大巨匠、村野藤吾だ。奈良ホテルの増築に際し、銅板屋根で挑んだ。1970年の計画の際には、この屋根が理由ではないと思うが、古都保存法を理由に、基礎工事をしながら、大変更を余儀なくされた。82年に他社が設計した増築時には、正面に大きな瓦屋根を抱くエントランス棟が造られ、あたかも隠されたような格好になってしまっている。あくまでも機能拡充のための一環だったとは思うが、大巨匠村野をもってしても、やはり、奈良には瓦屋根が似合う、という無言の力には叶わなかったのかなとも想像してしまう。私はといえば、そこはあっさり降伏して、瓦屋根を載せ、内部は村野デザインを観察し、天井の木のシックさや、板壁の力強さなどを継承しながら、インテリアを紡いだつもりだ。