山形県上山温泉、日本の宿 古窯[自作]

updated: 2008.01.01.

家族風呂

 マット・デイモンが熱い。もちろん、大ヒットした映画『ボーン』シリーズでのことだ。フランシス・フォード・コッポラが監督した『レインメーカー』という作品でも彼は主演を務め、その頃から注目をしていた。この中に、若いマット・デイモンがエスタブリッシュメントの敵役に対し、「あなたは、いつから堕落したのですか?」と捨て台詞を吐くシーンがある。私が巨匠と呼ばれる建築家の作品を見るときに、必ず思い出す言葉だ。
 もうひとつ脱線すると、コッポラの『ゴッドファーザー』シリーズは、家族の愛情と、それが空回りして音を立てて崩壊していく様を描ききった「ファミリードラマ」だとも思う。『ボーン』シリーズももちろん、サスペンスやハリウッド的なカーアクションをはじめとした見せ場が魅力のひとつだ。でも、その裏返しだろうか。彼は記憶がなく、孤独な心優しい殺人者を演じている。底に流れているテーマとして、失われた「家族」を追い求めているようにも見える。
 日本でも『ALWAYS 三丁目の夕日』が人々に受け入れられ、任天堂の家庭用ゲーム機Wiiが居間の中心に据えられて、家族が一緒に楽しむという光景が見られるようになった。そこには、同じ空気が流れていないだろうか。
 9・11事件以降(日本においては阪神大震災以降)、世界は何かが変わったと感じる。それは、「家族」が失われたときに感じる「喪失感」の、あまりの大きさに、人が改めて気付いたということではないだろうか?
 今、旅館は、岐路に立たされている。1部屋あたりの宿泊客数は限りなく二人に近づき、「おひとりさま」なる言葉も生まれた。この流れは、確実に数字として明確になっていくであろう。しかし、ただその数字だけに振り廻されていていいのだろうか? 時代の空気は、「家族の温かさ」を渇望しているような気がしてならない。
 旅館という宿泊形態は、もともと、家族に訴求できる要素をポテンシャルとして持ちあわせている。それを自然体で表現することができるハード、ソフトを旅館内に盛り込むことが求められている。そのためには「仕掛け」と呼ばれる触媒が必要だ。
 ハード面に関していえば、家族風呂が流行るのは、単にカップルのためだけではない。家族の憩いの場としてこそ価値があると思って、私は設計している。風呂の新設が大がかりすぎるならば、皆でひとつの画面にのめり込める、大型画面テレビとWiiを客室に備えてもいい。
 他には、簡単な例ではあるが、おしゃべりを楽しめるようにこたつを用意して、冬はここで鍋料理を提供する、というのもよいだろう(もちろん、料理の手を抜いたと思われないような工夫は必要だ)。すました会席風料理が、家族向けの料理であるはずもない。
 私は、懐古的なデザイン・設えに明日はないと考えている。そうではなく、家族への思いを、洗練された、新しい表現として盛り込むことが求められている。

1-9古窯