平成知新館

updated: 2015.05.01.

圧倒的な「和」を感じる空間の誕生。
傑作中の傑作、「平成知新館」

 東京・四谷駅の外堀通りを少し下ると、迎賓館(旧赤坂離宮)が見えてくる。いかにも西洋宮殿という造りで、外国からの賓客を迎えるには如何なものかと思わなくもないが、120年間も鎮座して、すっかり都心の風景に馴染んでいる。過剰過ぎるともいえなくないネオ・ルネッサンス様式は、皇居の周辺では自然らしい。設計は片山東熊。辰野金吾らと同じ、工部大学校の1期生である。片山は、長州藩生まれで、奇兵隊出身。一方、辰野は佐賀の下級武士の二男。当時の煌びやかな舞台である宮殿建築の類いは、片山が受け持った。
 その片山が、1894年竣工させたのが、旧帝国奈良博物館本館である。重厚な石積みと金色を纏った華麗な装飾、ネオ・バロック様式。
比較的小ぶりで、単体で見る限りは当時の日本における洋風建築としては出色だとは思うのだが、歴史的事件があった。奈良公園のど真ん中に造られたため、人々からすこぶる評判が悪かったのだ。議会で、以後、奈良公園内で洋風建築を建ててはいけないという決議までに発展することになった。実際、瓦屋根が連なる風景に100年経っても馴染まないのは、そうだなとは思うが。戦後、吉村順三が新館を建てたときは現代的な材料を用い、勾配屋根を付けて風景に馴染ませ、現代的な内部空間を造り上げた。大人の選択だった。
 片山は、奈良の国立博物館と同時期に、京都の国立博物館も設計している。場所は、三十三間堂の前で、こちらは煉瓦造に石の付け柱で、赤坂や奈良に較べると地味。初めてみた学生時には、東京駅に似ているので、辰野金吾の設計かと勘違いしてしまったぐらいだ。この地味な博物館建築が、京都の方々にはすこぶる評判が良かったらしい。平成になり、新館を造るにあたって、この煉瓦造建築をどう尊重すべきか?京都らしく屋根を付けろとかで議論伯仲したらしい(真相は公にされていない)。屋根さえ付ければ、和風で京都らしくなるのかというナンセンスな意見・不毛さを、設計した谷口吉生は16年掛かりで圧倒的なでき映えで沈黙させた。
 まず、京都の街づくりの骨格、東西南北の直行軸に沿い、片山の明治建築の東西に対し、三十三間堂の南門からの南北の軸線が引かれた。これはくしくも、埋もれていた方広寺遺構とも一致するものであった。この南北軸に対し、水盤を伴うファサード、ロビー、展示空間が重層に重ねられていく構成。各空間は連続しつつ、奥へ誘い回遊する。用いた素材は、コンクリート打ち放し、ガラス、アルミ、石。近代建築のパーツのみにもかかわらず、でき上がったものは圧倒的な「和」を感じる空間である。付けられた名前は「平成知新館」。確かに、平成以後、日本で造られた建築では傑作中の傑作のひとつに仕上がっている。何度でも訪れようと自分に言い聞かせている。