新国立競技場の行方

updated: 2015.09.01.

建築コストを最優先すべきか?
新国立競技場の行方

 「新国立競技場は、どうなるんですか?」と連日、質問される。コンペのザハの案については、以前、このコラムでも取り上げた(2013年1月号)。ホテル・旅館の建築物も少々(かなり)大きいが、決まっていく課程はそれほど変わらないので、再度、検証を試みる。
 コンペは、「案」か「人」のどちらかを選ぶものである。今回は、「人」の観点で選ばれた。参加資格がすごく厳しく、プリツカー賞受賞者など対象者は日本では10人に満たないので、直接参加するかを聞けば済むレベルだった。後に実施設計を担当する日建設計が、妹島和世氏と組んで応募した(3位でだった)のも、「人で選ぶ」という基準を理解していたからに他ならない。案で選ばれたもので世界一有名なのは、以前に取り上げたシドニー・オペラハウスである。「一番おもしろくなりそうな案」を審査委員長のサーリネンが押し切った。竣工までに、コンペに勝った設計者がクビになるなど大変だったが、すばらしい建築に仕上がり、世界遺産までに登録された。
 ザハの案だが、問題にされている2本のキール(アーチ)方式は、大空間を造る際にはそれほどめずらしい方式ではないことは前回も指摘した。規模の問題もあるのだが、一般の人々にすれば途方もない建築コストでけしからんというのはもっともな意見だし、マスコミもそんな誘導の仕方であった。それにしても、審査委員長の安藤忠雄氏まで「こんな規模の建物、設計したことがないからわからん」と言ったことには呆れた。「これでオリンピックが招致できたんやから、安いもんでしょう」ぐらいのことを言ってほしかった。
 槇 文彦氏達による、神宮の地には規模が大きすぎるし、開閉式屋根はスポーツ施設としても中途半端だ、という指摘は正鵠を射ている。がしかし、学生が描いたような凡庸な案を提案し、コストが安いことがすべてに優先されるという風潮のバックボーンになっているのは悲しい。もっとも、ザハ案はアーチに合わせた開閉式屋根なので、形状的にはほとんど成立しないし、やがてナシにしたのであろう、と個人的には思っている。
 建設業界の「慣習」として、このような場合、以下のような作為をする。合理性を無視してありとあらゆる物を別途にし、本体の名目価格を下げる。そして、後から随意契約でオプションとして追加する。こうすれば誤魔化せたと思う。この問題が連日話題になるのは、政治的に異なる大きな問題をマスコミに取り上げられたくないからか、とまで勘ぐってしまう。本当にコストが安いのがいいならば、「開会式は横浜国際競技場で、閉会式は、埼玉スタジアム2002で行なう」というぐらい、開き直ってほしかった。建築は、建設コストだけでは評価できない。人々の記憶の強さ・総量という尺度でも、語ってほしい。