白井晟一

updated: 2016.01.01.

白井晟一作品にいつも存在する
人々を魅了する石の塊

飯倉の交差点をめざしてアクセルを踏み込むと、正面にそそり立つ、楕円形の黒い塊りが目に飛び込む。ノアビルだ。大都会だなあと、ため息が出る。このランドマークとしての強さは、他を寄せつけない。設計は白井晟一(せいいち)。戦前、ドイツでヤスパース(広隆寺の弥勒菩薩を絶賛したことで有名)に学び、その建築は「哲学的」と教わった。建築が哲学的といわれても、学生にはチンプンカンプン。今は教える立場なので、人間の心に響くような「何か」を追い求めたものとでも解説したい。
 白井晟一は、石にこだわった建築家だ。長崎・佐世保にある親和銀行の一連の作品は、オーナーの強い決意をもって、建設当時の姿を留めているものが多い。大波止支店は、外壁は緩やかにカーブし、入り口部分だけ高い開口が穿たれている。この滑らかに磨き上げられた材料が石であることに気付くのに少し時間がかかり、なるほど、石でこそできる表現だと合点する。内部においても、梁型の部分(構造とは無関係の部位)を内側に丸く削り出し、微妙な陰影を造っている。建築関係者は皆、感心するが、建築コストは通常の2倍以上と容易に想像できる。使い勝手も、いろいろ問題あるに違いない。アプローチは数段の階段が基壇のようになっているが、身体の不自由な方には対応できない。そもそも、銀行の一支店が、こんな重厚な佇まいである必要があったのかと思うが、そんな野暮なことを考えてはいけない。使い続ける親和銀行にエールを送りたい。
 実は、白井の建築を見に行くと、同様な話がたくさん出る。渋谷区立松濤美術館は、区内の小中学生の作品を展示するのが目的だが、粗い石を積み上げた重厚な表現は、まるで欧州の中世宗教画を収集している個人美術館のようだ。学芸員の方に話を聞くと、子供たちの作品が見映えがしなくてと、ぼやくことしきりであった。直後に美術館建設計画のあった世田谷区は、この事態に恐れをなし、今ではよく用いられるプロポーザル方式で、内井昭蔵に渋谷区のようにしないでくれというリクエストをした。
 静岡市に芹沢銈介美術館(石水館)を尋ねた時も同様だった。外部は粗い石を積み上げ、中庭に水を張り、それを巡るという構成だ。展示室に入ると、違和感がある。染色の人間国宝だった芹沢作品を展示するのに、まったく合致していない。石造りの暖炉の上にも展示があふれている。中庭側は、黒い陽射し避けのカーテンで塞がれている。学芸員によると、白井が芹沢の要望を全く聞かなかったらしい。染色作品は紫外線に弱いので、直射光は御法度。苦労していますとのことであった。そんなことが多々あっても、白井の作品はそこを訪れる人々を魅了する石の塊りが、いつも存在する。きっと彼は、建築は使いこなしていくものだと思っていたのに違いない。