白木の建築 奈良ホテル

updated: 2016.03.01.

米軍接収下でペンキを塗装を拒み
白木の建築を現代に伝える「奈良ホテル」

「升酒を2つ!」と父が、馴染みの蕎麦屋で注文した。いつも温厚なお婆さんがきっぱりと、「うちの店では、女の人にはちょっと……」と言いかけて、母の顔を覗き込んだ。母ははっとして、ハンドバックから鏡とガーゼのハンカチを取り出し、念入りに紅を拭き取った。それを見て、嫁とおぼしき方が、艶々光って盛り上がった升を2つ、白い平皿に載せて運んで来た。確か、父も母もきちんとした格好だったから、慶事に出掛けた帰りの出来事だったのだろう。
 ごく最近、自宅近くの蕎麦屋で同じ光景を見た。大晦日の出来事だ。お客は、ちょっと下町訛りのある英語を話す、英国からの30歳代くらいのカップルであった。隣の客を見て「ツゥー」と注文すると、お婆さんが、女の方にはぐい飲みを示した。「ホワーイ?」。彼も、人種差別なのか?と息巻いた。彼女は肌に色が付いていたので、誤解したようだ。近くにいた恰幅のよい紳士が、美しい英語で、優しく、説明し始めた。ドキドキして見守ると、ヒノキは?と詰まったので、「シープレス、ヒノキ」と、助け舟を出した。カップルも納得してくれたようで、「ソーリー」と一見落着。それにしても、白木に紅を付けることがダメということを説明するのに、こんな労力が必要だとは思わなかった。私の語学力に問題があるのだが、肌感覚の違いを論理的に説明できないもどかしさを改めて痛感した。
 戦後、進駐軍が日本中の目ぼしい建物を接収した。元華族の邸宅の調査をしたことがあった。離れの下見板張りは青いペンキが塗られ、それが剥げて西海岸にあるボード小屋のようであった。内部は最上級の和室であったと思うが、床柱は薄緑色に塗られていた。丁寧に塗料を剥がすと、北山杉の磨き丸太であった。春慶の障子の桟も、白いペンキで覆われていた。それでいて、やに松の大判の床板には無数のヒール痕。下足のほうが衛生上問題なのではないか。この板がもう二度と手に入らないぐらい貴重なものだということが理解されていないんだなと思い、無性に腹が立ち、悲しかった。
 奈良ホテルも例外ではなかった。米軍の担当者から、白木は衛生上好ましくないので、建物全体に白ペンキを塗れと強く迫られた。支配人が気骨のある方で、粘り強く、この白木が時とともに変化し、従業員達が磨き上げていることを説明した。交渉も上手で、バックヤードはペンキを塗り、最後に、神社もそうだからベランダの手摺だけは赤く塗れという無茶振りには妥協したようだ。初めから、その姿しか見ていないわれわれにとっては違和感はあるけれど、妙に馴染んでいるように見える。あの白木が渋いグレーに変わった格天井も、檜の羽目板も、外壁の漆喰と木の柱のコントラストも、白いペンキに覆われることなく、現在に伝えられていて本当によかった。