軽井沢聖パウロカトリック教会

updated: 2015.02.01.

緻密な計算の上で生まれるレーモンドのディテール

 夏の商店街の賑わいのすぐ脇、十字架にくり抜かれた木の扉を開けると、しゃいでいた乙女達も息を呑み、そろりそろりと進み、静かなため息をつく。軽井沢聖パウロカトリック教会は、結婚式の憧れとして有名だ。その凛とした佇まいは、築80年が経過しても揺らぐことはない。塔を抱く東欧の田舎にあるような外観、檜の丸太で組まれた急勾配の小屋組み、ロマンティックな表現は、軽井沢を印象づける決定打となっている。
 設計は、アントニン・レーモンド(1888-1976)。彼の自伝によると、簡単な平面図とスケッチだけを描き、後は地元の大工に造らせたとある。しかし、これはレーモンドの設計姿勢を表すポーズに過ぎないと思う。事実、棟梁の中村兵二は麻布の事務所に図面を受け取りに行き、それを元に材料を加工したと言っている。屋根の形をそのまま表した小屋組み(構造)は、名栗仕上げ(釿で、粗く削ること)の丸太を急勾配で組み合わせ、横架材(屋根が横に広がるのを留める部材)を直接入れずに、クロス材を象徴的に入れている。必ずしも合理的な構造ではないが、壁側にバットレスという組石造の手法を組み入れて、バランスを保っている。この構造システムは、明らかに日本の伝統的なものではないので、大工が勝手に造ったのではないのは明らかだ。いわゆる、外国風のデザインだけを示され、日本の大工が造ると、伝統的な構造形式を用いて、そこに化粧を施すことになる。代表は長崎のグラバー邸で、この方式は日本各地で多く見られ、意外にも欧州帰りの建築家の作品にも多い。
 レーモンドはチェコ生まれ。フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルの設計担当として来日し、そのまま戦前・戦後を通して日本で設計活動を行った。ブルーノ・タウトが桂離宮を絶賛して、岩波文庫のベストセラーになったように、外国(とりわけ西欧)人の眼を通して日本文化を礼賛し、自らを再評価するという構図には違いない。されど、レーモンドのフィルターは、建築家としてのプロの眼であった。彼は、冷静に日本の建築材料、技法を観察していた。柱は、節だらけで太目の檜の丸太、屋根の檜の面皮による杮葺き、和紙を切り貼りしたステンドグラス、どれもが素材感のある材料を用い、当地の施工技術で可能なものを吟味し、丹念にディテール(細部)を検討して精密な図面を描いたと思われる。
 建築は、それに携わる人も多く、資産的、社会的影響が大きい。建築家は、オーケストラの指揮者に例えられることが多い。多くの人のエネルギーを同じ方向に結集するには、明確なビジョンと精密な図面が必要になる。レーモンドは、それを、JAZZの即興演奏のように見せる技を持つプロ意識の高い人だったと思う。偶然の産物を装い、緻密な計算な上で、あの素朴を表現している。