革の魅力

updated: 2018.05.01.

革の魅力。
ザ・リージェント香港の柱

「これは、本物でしょうか?」と、間抜けな質問をしてしまった。「そうですよね、ここにあるわけですから。それにしても、虫刺されの染みが一つもありませんね」。あるアパレルオーナーの自宅にうかがった帰り際に、入口脇に置いてあるソファを見た時のことだ。牛が生きている時に蚊に刺されると「傷」になるのだが、虫刺され跡がない牛は極めてめずらしい。
「うちは、ファーだって扱っているのだから、革の良さは充分知っているのよ。ただ、このソファの革に、虫刺されがないことを指摘したのは、あなたが初めてよ」。それは、デンマークの建築家フィン・ユールがデザインした有名な2人掛けのソファで、薄い革(おそらく、裏側を剃刀で削いで薄くしている)が張られていた。本当にみごとなまでの革で、こんな大きな一面で皮を張ることが可能なことを、この時初めて知った。
 かつて、ソファのデザインを依頼された。すごく勉強されている施主の方で、革選びからその染色・色出しまでこだわり、染色の原料まで指定されていた。おもしろいので、とことんやることにして、革の材料屋さんに一緒にうかがって相談することにした。驚いたのは、その革の工場側だった。美しい女性が、建築家を伴って、椅子の革一枚の相談に来ることなど、前例がなかったからだ。その革を扱う職人さんの抑えた喜びは、傍にいても強く伝わってきた。
 日本では、革を取り扱う環境に難しい側面が、かつて存在していた。その余波で、革に対する歴史が浅い。とりわけ、需要の90%以上は靴用で、その次がバッグなどの小物、家具。建築などのマーケットは、業界の中ではごくわずかに過ぎない。また、建築には、「内装制限」という法律の縛りもある。人工皮革の技術の発展は、すばらしくて、裏を見ないと違いがわからないことも多い。耐久性も優れている。個人的には、年輪を重ねてきて、鰐皮もいいなあと思うようになってきた。これも、牛皮を型押しして、ありとあらゆる文様をつくり出すことが可能だ。
 香港のインターコンチネンタルがまだリージェントだった頃、私は独立する前だった。上司の不条理な説明に飽きてしまうと、金曜日の夕方に会社から成田に直行して、リージェントのプールに浮かんでいたことがあった。部屋のゆったりとしたバスタブも好きだったし、何より香港島のセントラルの高層ビル群が海越しに見えるロビーが好きだった。そこに峻立する丸柱は、黒い本革が張られ、世界に一つしかない風景を引き締めていた。ある日、おそらく柱が風景を邪魔しているとでもいう輩がいて、壁と同じ白いペンキにしてしまった。その途端に、あれほどの風景が、少しだけ凡庸になったような気がして、悲しかった。あの柱は、黒い本革で巻かれてこそ、命が与えられていたのだと思う。