LA・ガラスの教会

updated: 2015.08.01.

集い、祈る場所を現代的に表現。
LA・ガラスの教会

 LAのダウンタウンから、サン・ディエゴに向かって南下する。まだ、カーナビなどなかった時代。どこまでも高速道路が細かなジャンクションを介してつながっていた。めざすガラスのタワーは遠くにちらり、キラリと見え隠れするが、ようやく駐車場に滑り込んだ時は、日曜日の朝の礼拝が始まっていた。噂通りに、車の中でラジオを聞き、ガムを噛みながら参加している人達もいる。見上げると、青いミラーガラスの巨大な壁面。「やはり、石の代わりに、ガラスのカーテンウォールで倉庫のような建物を造り、カテドラルと称しているのか」。予想通りだったため、少し失望しかかった気持ちは、中に一歩入ると一変した。
 たくさんの人々、天井からは光が降り注ぎ、外から見たミラーの壁面は、室内からは透明になり、砂漠の陽炎、うねる高速道路、遠景の高層ビル群が、背景として群衆と一体化している。なんといっても明るい。光輝くアトリウムそのものだ。ゴシック建築のように暗くて、細く差し込む光による荘厳な神々しさは微塵もない。すべてが真逆だ。ちなみに、アメリカの学校にはゴシック建築が多い。権力者や寄進者は、あの神々しさこそが自分の価値観を具現化した姿なのと信じて、微塵も疑わないに違いない。さらにいうと、日本の戦前に造られた大学にネオゴシック様式が多いのも、同様な価値観があるからではないかと思っている。東大の安田講堂(1925年竣工)も、そんな上から目線のデザインだったからこそ、あれだけ反権力へのシンボルとして攻防が繰り広げられたのではないか。
 このクリスタル・カテドラルは、79年、アメリカ建築界の大御所フィリップ・ジョンソンの代表作のひとつだ。彼は元々、MOMAのキュレターであった。時代の空気に敏感なのか、先が見え過ぎるのか、表面に見えるデザインの様式は、モダニズム初期のマッシブな表現から、ガラスを多用するにスタイルに。そして、歴史的様式をモチーフにしたポスト・モダンと呼ばれるところまで変遷していった。多くの評論家達がその変貌を罵り、裏切り者とまで呼ぶ者もいた。しかし、その指摘はほんの表層だけを揶揄したものだ。この巨大なガラスで覆ったのは、中央の菱型のステージと、その周りに三角形に伸びていく観客席。駐車場にも巨大な窓を開け、FMラジオで祈りを届けて「集い。祈る」というもっとも大切な空間のあり方を、現代的な表現にしたに過ぎない。建築の組み立て方はバロックに近いし、基本的な宗教建築の構成にかなり忠実だ。そこには、権力も神々しさなども不要だとのメッセージが込められている。後日談がある。この教会は破産し、ローマ・カソリックに売却され、現在改装中。2016年に再開され、今度はインターネット配信も行なうという。来年が楽しみだ。