ドイツ連邦議会議事堂

updated: 2012.12.01.

てんとう虫建築

 ドイツ、ブランデンブルグ門の西に立ち、一直線に延びるウンター・デン・リンデン通りを見つめていた。足下は何重もの鉄条網で囲われていた。すぐ近くに荒れ果てた巨石の塊の建築もどきのツーリストセンターがあり、東側に1日観光できる方法を教えてくれた。翌日、反対の東側から昨日自分が立っていた門を見ていた。門の上、華麗な装飾の影には、機関銃を構えた兵士が臨戦態勢で私に照準を定め、歩みに合わせて銃口も動く。お願いだから、まちがって引き金を引かないでと、叫びたくなる恐怖を感じる。そこは西との境界近くなので、荒れ果てていた。昨日のツーリストセンターも、ただの石の残骸が転がっているようにしか見えなかった。ベルリンの壁が崩壊する4年前の1985年のことだ。
 その後の歴史経過はよく知られている。1989年に、ベルリンの壁が崩壊し、急速に東西ドイツが統一化され、冷戦は終わりを告げた。首都は、激論の末にベルリンになり、議会は荒れ果てた石の塊にしか見えなかったあのツーリストセンター、実は19世紀の旧帝国議会議事堂だったのだが、これをリニューアルして使うことになった。指名コンペにより、英国人ノーマン・フォスターが93年に選ばれた。19世紀ドイツの「帝国主義」を象徴する建築を、「統一ドイツ」の議事堂に据えるという試みは、とても勇気のいる英断であったと思う。
 フォスターは、粘り強く寛大であった。市民の要望により、ドームを復活させることになった(コンペ時はなかった)。その過程において、代表的な検討案が20ほど、建築雑誌に紹介されていた。そこには、混乱と苦悩が滲み出ていた。
 最終的にフォスターが提示したコンセプトは、「灯台」であった。人々の統一への眼差し、期待を、丸っこい柔らかなドームに昇華させた。昼間は逆円錐形のミラーから下部の議場に自然光を差し、夜の帳が下りた後はドームを浮き上がらせる。この親しみやすい形にちなんで、市民は「てんとう虫」と呼んだ。屋上をはじめ、ドームは一般観光客が見学でき(物々しい金属探知機によるチェックを受けるが)、屋上に位置するレストランはなんと、てんとう虫のイメージをモチーフにして造られていた。一面の壁は赤色、テーブルセッティングの皿には赤い縁どり、ナプキンにはてんとう虫が舞い、女性スタッフはブラウス姿にてんとう虫を思わせるサスペンダー(後姿が色っぽい)、お堅いドイツ人にしてはずいぶん洒落っ気が効いている。それだけ、かつての帝国主義のいかめしいイメージが払拭された証なのだろう。
 ちなみにこの建築、ドームの自然光、熱気は排出せずに熱交換、地下水による冷水輻射暖房、植物油を利用したコージェネレーションで電力は賄う。これらにより、同規模の建築よりもCO2を94%も削減したエコ建築でも有名だ。

ベルリンてんとう虫02