アフターコロナのサービス

updated: 2020.06.01.

アフターコロナのサービス。
非接触と接客価値向上の両立をめざす接客を模索する

「最悪のランチだったね」「ホント」「まさか、自分で調理するとはね」
 中年男が若い女の子を老舗しゃぶしゃぶ店に誘ったときを振り返った台詞で、ソフィア・コッポラ監督、「ロスト・イン・トランスレーション」(2004年アカデミー脚本賞)の中の1シーンだ。アメリカ人から見た東京は、とっても斬新だという風に描かれている。そのしゃぶしゃぶ店では、上質な肉を選んで、着物の女給が丁寧に対応していたと私には見えたが、最悪だったらしい。今となっては、饒舌な会話もなく、短時間で丁寧な接客は、コロナ後の対応としては、スマートにも映る。
 では、自ら料理を取るブッフェ方式の朝食や旅館の夕食として代表的な会席は、どうなるのだろうか。コロナ後の世界を考えてみたい。
 個人的には、自分で取りに行くのが面倒なのと、つい食べ過ぎてしまうブッフェ方式が苦手なのだが、コロナ前は、圧倒的な人気を誇っていた、と過去形になるかもしれない。飛沫に晒された大皿料理をトングで取り分けることが、敬遠、否定される可能性は否めない。ホテル・旅館では特に朝食シーンで、ブッフェなしで大人数を短時間で捌けるか、との課題に直面する。対策は何か?
 短絡的には、部屋出しの復権だ。これは、サービスする人員と運ぶ手間が増えるが、その価値が見直される。いや、ようやく部屋出しを縮小、廃止してきた旅館にとっては、時代が逆行してしまう。香港の「ホテル・イースト」で行なわれている、紙袋に入れて部屋の前まで届けるような、ルームサービスの新しい形が求められる。
 レストランへの入場者数を減らせば、定番プレート料理(和か洋の選択)でサービス可能になり、お客にとっても選択肢が増える。ブッフェでも、料理は小皿に盛り、ブッフェ台と顔の間にはガラス板があるという工夫は、必須になる。美しくおいしい小皿料理は、これからの知恵の出しどころだ。
 会席も、何度も客と顔を合わせるというサービスそのものが、敬遠されるかもしれない。1プレートで、見劣りしない料理、盛り方のサービスを工夫したい。お重なら豪華だが、お弁当にも見えてしまってはいけない。配膳回数を減らすという行為が、サービスの逆行ではなく向上という価値の変換が行なわれるかもしれない。
 今ほど、生の音楽、スポーツ、美術、鳥のさえずり、風の匂いに渇望しているときはない。ホールでどんな音楽を聴いても、球場で球音を聞いても、泣いてしまうだろうと思う。笑顔、会話、心遣いは、どれほど人にオキシトシンという幸せホルモンをあふれさせる価値のあるものかと、再認識されることに疑いようがない。