旧帝国ホテル

updated: 2010.09.01.

クリームソーダの思い出

 小学校に上がったぐらいの夏だったと思う。旧帝国ホテルの食堂で、私は、注文したクリームソーダが来ないと言って半べそをかいていた。向かいに座り、すでにビールを数杯飲んでいた父は上機嫌だった。父の目的は、建築に携わっている者として、翌年(1967年)に取り壊しが決まったフランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルを、もう一度この目で見ておくというシンプルなものだった。この職業の喜び、難しさをまだ微塵も知らない無邪気な息子は、父の職業に憧れ、一人付いて行くことになったらしい。父と最初で最後の二人旅だった。
 あの、池をぐるっと回るアプローチはずっと後日、愛知県の博物館明治村に移築されたときに確認したが、ロビーは今でもよく覚えている。列柱が並び、そこに丹念に施された装飾は、子供には呪術的な感じがして怖いような、それでいて親しみやすい感じがした。この不思議な風合いを持つ柱こそが大谷石だった。
 栃木産で、地元では塀や土蔵に用いられる廉価な石材で、まともに建築素材として認知されていなかった。今の感覚で言えば、安いブロックのようなものだ。ライトがどのようにして、この石材を発見したのかは定かでないが、それ以来、この柔らかで豊かな表情を持つ素材は建築家に認知され、坂倉準三設計の神奈川県立近代美術館 鎌倉館などに用いられた。人気が高まったことでたくさん掘り過ぎてしまい、後年に大規模な陥没事故がニュースになったが、最近は新しい採石場も開発され、供給には困らないようだ。
 現代にフードマイレージという概念はあるが、建築材料マイレージや自給率という概念は皆無だ。そんな言葉がなくとも、明治後年までは重い材料を用いる建築は、都市部を除き、概ね半径20km程度にある材料で構成されていた。運送手段が限られ、割高であるという経済的な理由からだ。結果として、大谷石のようなドメスティックで豊かな表現を勝ち得ていた。
 地方の素材とデザインとの融合で大成功した有名な事例がある。スイス、ヴァルスの湯治場だ。今や世界中からの観光客で年中賑わっているが、1996年にピーター・ズントー設計の新しいスパ(テルメ・ヴァルス)ができるまでは、標高1200mに位置する山深い閑散とした谷にすぎなかった。彼はこの湯治場から、さらに1000m登った地にある採石場から薄緑で粗面の石を薄く切り出し、ひたすら積み上げて豊かな表現を勝ち取り、村も繁栄している。日本からのツアーも大人気だそうだ。
 遅れてきたクリームソーダは、妙に冷たく、塩味が効いて甘かったように思う。旧帝国ホテルのロビーの列柱は、私の亡き父をして「ダイキンのエアコンを柱ごとに床置きするとは、けしからん!」と憤慨させることになってしまった。私は私で、その夜、真っ赤な水がちょぼちょぼしか出ない洋バスの中で、地獄の血池はこんなところかと怯え、子供心にこんなホテルは早く壊してしまえと念じていた。

クリームソーダ写真