伊豆の長八美術館

updated: 2013.06.01.

泥の魅力

 「ここは、黒漆喰で鏡のように研いでください」と、某大手ゼネコンの若い現場マンに説明した時のことだった。「はっ? 漆喰で磨く? 何のことですか?」とまったく会話が噛み合わなかった。左官による仕事は、土や漆喰を塗り、削り、磨くことまでもできるのだ。この時は、その上司が安藤忠雄の現場や、京都の寺社仏閣の大修理を担当した名物工事長で、理解を示してくれた。私の意図は、微妙な歪みの中に艶という色気がほしかったのだ。何人かの職人さんと面談し、結果、若手の左官職人さんにお願いした(スターの左官職人さんはそれなりに高い)。ちなみに、この時の淡路島出身の彼の出来映えはもの凄く、見惚れて立ち尽くしてしまうほどだった。彼は今、世界中を飛び回る若手の注目株だ。しかし、こんなことは本当にめずらしい。漆喰を代表とする左官工事を指定すると、多くの現場担当者からことごとく嫌がられる。施工管理に手間がかかり、天候に左右され、工事期間の予測が難しく、それでいて、できの良し悪しは最後にならないとわからない。施工期間を約束している施工会社なら、避けて当然の選択である。
 東伊豆の先端、土肥から下田の手前ぐらいまでのエリアは海岸線が険しく、海からここを眺めると、巨大な岩が、ごろっ、ごろっと横たわっているように見える。ひとつの小さな沢が入江をつくり、港・集落を形成している日本中のどこにでも見られる美しくも寂しい風景が点在する。ここに約40年前の1974年、伊豆半島沖地震(M6.8)が発生した。山崩れが起き、多くの方が亡くなった。どういう結果になったかは、一度ここをドライブして見てほしい。海岸線が険しく、そこを這うように続いていた道路は寸断され、トンネルからトンネルで結ばれた。漁村の木造民家で営まれていた「民宿」は、補助金の名の下にどれもが、官営アパートのようになった。そして、放棄せざるを得なかった集落と、それでも今も風情を醸し生き残った集落がある。その差はほんの僅かだったはずだ。今、東北でも同じことがひたひたと進行している。
 生き残った集落のひとつに松崎があり、長八美術館(84年竣工)もここに鎮座している。地元出身で、江戸時代の左官の名工・入江長八が地元の人々により発見され、再評価され、設立に至った。設計は石山修武。全国の職人さんの御好意により、現代建築でありながら、ほのぼのとした空気が流れている。日本の左官は、土を盛り上げることも、それを削り、鏝ひとつで絵を描くこともできる特殊技能の人々だ。泥をアートにまでできる。
 この技法を、伝統的な技だから用いたとは考えていない。確かに、建築工事の合理化という観点とは、異なるのかもしれない。この左官技だからこそ、できる表現がある。そして、その出来映えは、必ず施主さんにとっても、現場マンにも、皆さん納得してもらえると信じて、今日も見本と格闘している。

4-6長八美術館