明治の復権

updated: 2020.12.01.

赤レンガへの誘惑
100年の時間が経過して、
明治の再評価、復権

 

「30分後に赤レンガ広場でね」と、子どもたちが手を振り団地の中に吸い込まれていった。赤レンガといっても、煉瓦色の廉価なタイルが敷き詰めただけの中庭だ。子どもたちのには、赤レンガの素材と色が強く残り、赤レンガ広場と呼んでいるようだ。
山手線の新橋から有楽町の高架も煉瓦のアーチ構造で支えられている。それを活かしてコンクリートで補強し、傍らにある新幹線のコンクリート製の高架下とも一体化して、この9月に30店舗あまりの商店街「日比谷OKUROJI」がオープンした。明治のレンガの下は低く、新幹線側はゆうに2層分はあるが、その空間の高低差と100年前の煉瓦アーチの空間が入り混ざり、ちょっとした迷宮のようになっている。そして、随所にインテリアとして残された煉瓦とコンクリートの塊に圧倒される。
東京駅、中央コンコースを八重洲側から丸の内側に向かって歩くと、レンガと御影石の組み合わされた壁に突き当たる。辰野金吾が設計した東京駅の壁面である。数年前に免震構造を施され、戦災で失っていた上部構造を補い、凛とした佇まいを蘇らせた。丸の内側のライトアップされた駅舎を背景に、ウエディングドレスとタキシードのカップルが記念写真を撮っているのを毎日見かける。
今、各地に残る赤レンガを保存・活用して、観光コンテンツにしようとする動きが盛んだ。高架下を利用した東京・秋葉原の万世橋、横浜の赤レンガ倉庫群、京都府・舞鶴の旧海軍の倉庫群、金沢の旧陸軍の倉庫群、奈良の重要文化財である旧監獄を高級ホテルに改修するプロジェクト、そして、世界遺産・国宝となった富岡製糸場……。
実は、20年ほど前まではこの動きは弱かった。明治時代は富国強兵で、文化的には欧米文化への物真似とされ、評価も低かっのだ。事実、重要文化財などに指定される建物も少なく、多くが破壊されてきた。これには、大きな技術的な誤解があった。レンガ造は、1891年(明治24年)に起きた濃尾地震までは、目地が漆喰で接着され、耐震性能が極端に弱かった。その後、目地はモルタルとなり、耐震性能は向上したが、関東大震災を経て、漆喰目地のレンガ造が壊れ、コンクリート造に代わった。
明治という時間が100年経過することにより、都市景観にも溶け込み、ノスタルジーを誘うシンボルとなってきた。西洋への物真似とされたデザインも、レンガと御影石を組み合わせたり、欧米でも実験的とされた工法、例えば、内部に木造や鉄骨を入れたり、平鋼で補強したりと、当時の世界の再先端工法でつくられたこともわかってきた。明治時代の建物は意外とよく見かける。是非、周りをを見回してみてください。