金継ぎの精神

updated: 2012.09.01.

 ガシャンと大きな音がして、志野の皿が割れた。たぶん、母が父に癇癪を起して、自分で自分の大切にしていた皿を床に叩きつけたのだろう。そこで争いは中断、父は新聞紙を広げ、大きく3つに割れたその断片を丁寧に拾い集め、腕を組んで考え込んでいた。私が、小学生ぐらいの頃の記憶だ。
 数カ月後、似たような皿が、再び、家にあるのに気付いた。似てはいるが、途中に滑らかな金色の筋が入り、風景は変わっていた。確かあれは、私が成長し家を離れる頃は、まだあった。今も、どこかに埋もれているだろうか? そうか、あれは高価ではないけれど、何か大切なものだったに違いないので、父が気を利かせて、「金継ぎ」をさせたに違いなかった。おそらく、その皿の値段よりも、金継ぎのほうが高かっただろうと思う。されど、修復されることによって、新たな命が吹き込まれることもある日本独特の感覚なのだと思う。
 金継ぎとは、ざっくり言えば、欠けた磁器や陶器を、金粉を混ぜた漆で接着して補修する伝統技法のこと。漆は、湿度により乾燥が進むため、繊細な職人技が求められる。本阿弥光悦作の赤楽茶碗 銘「雪峰」(重要文化財)は、大胆な金継ぎが施されており、それ故に、独特の景色が広がっている。元々は、窯跡らしいが、独特のあの姿を、理想の風景と評価する茶人の方もいる。それに、なるほどと共鳴する自分の血が、確かに、日本人の美学の世界だなぁと騒いでしまう。
 チャン・イーモウ監督の『初恋のきた道』の1シーンでは、恋人が大切にしていたお弁当の丼が壊れてしまったのを鎹という金属でつないでいた。やはり、かけがえのないものを大切にしていくという気持ちは同じだが、技法は異なる。
 西洋では、修復とは、それ以前とまったく変わらないようにするのが常道だ。それは、建築でも都市でも同じで、ワルシャワの街が戦争で跡形もなく破壊されても同じ形(写真資料などを見ながら)に戻そうという試みと、根っこのところは変わらない気がする。
 壊れてしまったその器は、さほど価値が高いものではないかもしれない。しかし、時として、恋人の想い出、家族とかけがけのない時間を過ごした記憶が込められているものかもしれない。何かのはずみで壊れてしまったとしても、卓越した技術と選ばれた素材によって、修復して、より価値が上がる。それが、金継ぎの精神だと思う。
 このエスプリを持った民族が、今、東北で行なっている震災復興に、金継ぎの精神が現われているだろうか? 化学接着剤ならば瞬間でくっつくかもしれないが、そこに広がる風景(器のデザインも同じ風景というのは偶然とは思えないが)は、味気なく、口触りも悪い。金継ぎの漆も乾くまでに長時間を要するが、丹念に修復すれば、傷も歴史となり、それまで以上の価値が生まれる可能性を秘めている。

5-2金継