セルフビルドのデザインの可能性

updated: 2019.09.01.

セルフビルドの
デザインの可能性

 八重洲の地下のトイレで、ちょっとした壁の亀裂から、日本列島が沈没していくと空想したのは、作家の小松左京氏だ。先日、20年以上前に自分が改装の設計をした、あるホテルのトイレ壁紙を見て、その仕上がりに驚いた。シンプルなビニールクロス貼りなのだが、微かな波のような模様が入っているクロスを、横模様に貼ってもらうことが多い。部屋が広く見えるからだ。その微かな模様のクロスのジョイントをキチンと柄合わせしてくれるように、スーパーゼネコンに指示をしていたのを思い出した。日本の職人さんの腕前は、改めてすごいなあと感心した。アメリカで同様のことをやろうとすると、気が遠くなるような打合せと説明、そしてコストが掛かる。職人気質というのは日本においては美学だが、大多数の世界から見れば、設計者のわがままと見られているようだ。
 国によって、建築の法律は違う。比較することが適当ではないが、アメリカ(州により違う)において、ある規模以上のホテルはスプリンクラーの設置が必要で、例外の緩和規定がほとんどない。日本では排煙装置を設ければ緩和され、その排煙装置も防火区画と内装制限を組み合わせれば緩和されて、というように法の抜け道が多い。スプリンクラーは設備的にもコスト的にも大きな負担なので、やはり抜け道を探ることになる。網の目のような抜け道を知っていることが、建築法規に詳しい設計者の技術とまでいわれている。
 アメリカの基準にも、合理性がある。米国の職人さんのレベルは本当にまちまちで、いろんな人種の方々で構成されているし、必ずしも英語が通じるとは限らない。いや、西海岸ではむしろ、スペイン語のほうが職人さんには通じるかもしれない。日本では考えられないような厚い板(不燃とか準不燃とかの仕様などない)を、ガンガン釘で表面から打ち付け、刷毛跡など気にせず、鮮やかなペンキを塗りたくる。これはこれで、力強い表現方法が探れる。感覚でいえば、DIYのようだ。
 日本においては、ペンキの刷毛跡などつくはずもない。日本の職人さんは無意識に手を返し、均一に塗るという技術を会得しているのが、基礎になっている。そんな職人技があってこそ、あの複雑な法規の抜け道が成立しているといっても過言ではない。されど、日本においても、繊細な職人技でデザインを成立させるということに、多大なコストが掛かる時代になってきた。個人的には、その職人さんの技が大好きで、その表現を使わせてもらってきた。これからも、それを追求するのだが、それはそれとして、職人技に頼らないDIYのような建築表現にも、新しい可能性があると思う。