兜町「K5」

updated: 2021.03.01.

兜町「K5」、マイクロコンプレックスの試み。
引き算によるデザイン

荒々しい割られた御影石の肌が、200m以上続いていく。石が厚く、10㎝以上はある。貼ったのではなく、どっしりと積まれた重さが、横の歩道を歩いても伝わってくる。この石の塊りのような東京証券取引所は、日本橋の横の兜町に峻立している。その傍らの建物が気になった。コンクリートが剥き出しで、かといって安藤忠雄のような綺麗な打ち放しの壁でもない。ところどころにボルトが突き出て、工事用に付けられた墨も確認できる。入口廻りには、大正アールデコ風の装飾も残っている。解体準備をしているのかな。一見、素っ気ない風情だけれど、力強く品がある建物で、壊されてしまうのは、勿体ない。そう思いながら、毎朝この前を通ってオフィスに通っていたら、2020年2月にホテルとしてオープンした。その名は、「K5」。

大正12(1923)年に、この元第一銀行の建物は竣工。同年9月、関東大震災に見舞われた。この建物が被害に遭わなかったのは、運河と日本橋川に挟まれた立地と、壁が多い鉄筋コンクリート造で地下もあったからだ。隣に建っていた、建て替え前の先端が丸い東京証券ビルも同時期の竣工だ。兜町、茅場町界隈は、日本の金融の中心として、第一次世界大戦後の好景気と円高の恩恵を最も享受していたのは想像に難くない。
竣工時の写真を確認すると、当時の最先端技術とコストを掛けた建物の外壁は、おそらく江戸城の石垣で有名な小松石(伊豆の産)か、同じ安山岩の白川石が貼られていたと思う。それが経年劣化などで保持が難しくなり、今回この改修するにあたり、それをはずして躯体を剥き出しにした。危険かもしれなく、維持保全にコストが掛かりそうな部位ははずし、すっぴん顔で勝負する潔さである。その潔さは、インテリアにも表れていて、客室の床は仕上げを剥がしたままのコンクリートに置きカーペット、レストラン、カフェ、ビアホールは、天井も床も躯体表し、「引き算」のデザインとなっている。かといって、艶を忘れていない。渋沢栄一にちなんだ名前のバー「青淵」(アオと読む)は、濃い臙脂色とメッキ鋼板のインテリア、地下のトイレの壁は同じ臙脂色で、グロスに怪しげに光っている。マイクロコンプレックスというコンセプトの下、株の立会場が廃止されてから、人が少なくなった街にインパクトを与えようとする気概は感じる。
仕事帰り、ガランとほとんどお客がいないビアホールで、独りビールを飲んでいると、「ラストオーダーは、19時までにお願いします。そうでないと、ユリコに怒られますから」と、真面目な顔でボーイに念押しされた。うん?マネージャーの名前がユリコだったかな。いや違う、都知事のことを思い出すのに、少し時間が掛かった。