白い麻のスーツと大理石

updated: 2013.08.01.

 あるインタビューで、お笑い芸人が田原俊彦さんに、「どうしていつも楽屋ではトランクス1枚なんですか?」と尋ねられた。「ズボンが少しでも皺にならないように、出演ぎりぎりまで履かないんだよ」と、ちょっとはにかみながら俊ちゃんは答えていた。最近ではめったにお目にかかれないが、帝国ホテルのロビーでは、梅雨の時期など、背筋を伸ばして立って人を待つ紳士をお見かけしたものだ。彼らは、白いリネン(亜麻)のスーツ、ヘビ革の靴に洒落た帽子という出立ちであった。そういえば、待ち合わせするときの父の姿もそうであった。ソファが空いているのになぜかと尋ねても、「アホか」という一瞥されるだけで、ずっと不思議であった。あれはリネンが皺にならないようにする基本だということを、私が理解するにはもう少し時間が必要であった。
 麻のジャケットは凛として、シルエットも、微妙なマチエールも好きなのだが、綿パン・ポロシャツが夏の定番のように育ってしまった私には、リネンはひと夏で黄色ばみ、型崩れしてしまう難物で、縁遠いものであった。絹はレーヨン、綿はナイロン・ポリエステル、ウールはアクリルへと化学繊維が開発される中でも、リネンの風合いのような素材はあまりないように思う。そもそも、今の時代は皺になりやすく、染色しにくく、それでいて変色しやすい素材など求められていないのかもしれない。
 大理石にそっくりのタイル。滑ることが少なく、欠けたりする経年劣化も少ない。それでいて薄くて施工がしやすく、断然安い。これでは、本物を用いる理由を施主にどう説明すればよいのか。印刷・表面加工、そして接着剤の技術の各段の進歩で、本物の大理石を使うのは時代遅れになってしまったのか? かつて大理石を用いる際は岐阜県の大垣の石屋さんに出向き、原石を選ぶことから始まった(かの地は良質の大理石が産出され、石加工の中心地だった)。切り出し、傷確認、その組み方に腐心した後、石特有の模様が広がるのが大理石工事であった。いわゆる、ブックと呼ばれる左右対称に世界が広がっていく日本特有の技術も、この手順なしには成立しない。
 バブル時代の頃からか、世界中から大理石の半端材を50cm角程度にカットしてタイルのように、貼ることが増えた。だが、石は、貼るのではなく、組み上げていくのが石工事なのだ。おまけに、円高と航空輸送の発達により、石の加工はほとんどすべて中国で行なわれるようになった。施工中に偶然足らなくなった石も、2日後には上海から届くというのが現実だ。それはそれで合理的なのだが、白のリネンのスーツのような不合理な美しさを貫くことに接することが、段々と薄らいでいく。でも、まだまだ凛とした御老人にお会いすると、フリースに慣れ親しんだわが身を恥じる。そう思い、一念発起。白は照れたので、黒のリネンジャケットを買った。