東京ステーションホテル
updated: 2015.11.01.
最新の法と技術で保存が実現。
東京ステーションホテル
朝、高さ3m以上はある重いカーテンを開けると、縦長の上げ下げ窓のすぐ脇にいた男性と目があった。朝の陽射しを浴びて、中央線快速のオレンジ色の車両が、もう手の届きそうなところにいる。改装前の「東京ステーションホテル」のツイン客室の日常の風景であった。カーテンの隙間からしばらく覗いていると、瞬間、いくつも先のホームが見渡せることがあった。これが松本清張の「点と線」の有名なトリックか、と一人、悦に入った。ある時は、南口のドームに面した部屋しかないがそれでもいいですか、と丁寧に尋ねられた。ドームの下を行き交う人々が見れるのかと心浮き立ったが、ドーム側の窓は厚い鉄板で溶接してあり、浴室もない。フロントの人が売りたくないよう躊躇を見せたわけだ。ちなみに、社員寮のような風呂が別にあった。
この東京駅は、一体、どうなってしまうのだろう。時間の問題というか、すでにその時間は過ぎてしまっているなと、剥げかかった天井の漆喰いを眺めながら合点してしまった30年前とは、明らかに時代の空気感は違うと思う。
プログラムは、以下の通りだ。2000年に「特例容積率適用地区」(空中権を売れるという制度)が成立し、03年に重要文化財に指定された。これは、空中権を大手町などの地区に移転(売買)するのには、それなりの理由づけが必要性だったからだろうし、計画を進めて建築基準法の仕様規定を適用された場合は対処できないため、それを見越しての前処置であった(文化財は建築基準法が適用されない)。これにより、数百億円といわれる事業費が確保された。
設計者、辰野金吾は「辰野堅固」といわれたが、この東京駅では、おそらく数百年は使用するつもりで、鉄骨造と煉瓦造の二重構造にした。ちなみに、1891年の濃尾地震以後は、煉瓦造の接着に、それまでの漆喰ではなく、モルタルが用いられたので、現代でも意外と強度は確保されていることが多い。とはいえ、床の強度などが足りなかったらしい。われわれは阪神淡路大震災で、機能維持に免震構造が有効なことを学んだが、まさに、駅舎には地下に新たな基礎を造り、免震層を設けて上部構造への負担を軽くする「免震レトロフィット」は必然の技術であった。この技術と空中権の売買がなければ、保存は叶わず、高層建築に建て替わっていたはずだ。皇居前から眺める、横に伸びる赤レンガの風景は愛され続けてきた。それを残したいという社会のコンセンサスに、ようやく法整備と行政と技術が追いついてきた成果のひとつが東京駅の保存だと思う。
それは、「動的保存・活用」に日本各地で少しずつ理解が進んでいる証だろう。皇居前から、東京駅の上の幻の高層建築を想像してみてください。やはり、この風景がいいなあと染みてくると思う。