東京国立博物館 法隆寺宝物館
updated: 2013.10.01.
並行配置の美
京都・当尾の里を初めて訪れたのは、40年も前の高校時代であった。そこには目的の浄瑠璃寺がある。ここの本堂(国宝)は、平安時代後期特有の池の前に優美にその姿を横たえる様式。その造りは、屋根の形がそのまま室内空間にも反映され、建築家志望の若造はその構成に目を奪われるが、一般的には簡素とか質素というべきなのかもしれない。注目すべきは、阿弥陀様達が9軀、横一列に並んでいるその配置だ。均等に池から反射させた光が障子のフィルターを通し、淡く室内全体と金色の仏像を浮かび上がらせる。それにしても、なぜ均等な並行配置なのだろう?
この構成とよく似て、有名なのが三十三間堂(蓮華王院本堂、鎌倉初期、国宝)だ。よく知られているように、中央に座った形の千手観音が鎮座され、その左右に立ち姿の千手観音が500軀ずつ、約120mにわたり連なっている。規模はまったく異なるけれど、横に並列に配置され、正面から障子越しの淡い光を浴び、静かに佇んでいる姿は浄瑠璃寺と同じだ。この不可思議な光か埃の粒子の中を私自身が浮遊するのが好きで、京都で時間があれば最後に訪れるのが常になっている。
これが、一神教であるキリスト教教会ではそうはいかない。初期キリスト教建築から始まり、パースペクティブをいかに効果的に効かせるかという観点においては、ルネサンス、ゴシックも同じだ。円形に取り囲む御堂もあるのだが、1点に集中するという観点からすれば思想的には同じだ。やはり、神様が同等に並ぶということは、はじめから発想にないのかなぁと思ってしまう。だから、自分達の価値観をひたすら押しつける世界展開なのかと、平和ボケした頭を横切る。
現代にも、この構成を用いたすばらしい建築が上野公園内にある。東京国立博物館 法隆寺宝物館(谷口吉生設計、1999年竣工)だ。ここでは、明治時代に天皇家に献納され、戦後、国に移管された法隆寺に伝来した数多くの宝物を一般公開している。1階の展示室では、飛鳥時代の20cmほどの仏像(多くは国宝)が、1軀ごとに90cm角ぐらいのガラスケースに収められている。照明は仏像の足下に配され、小指の先ほどのLEDライトで下から、仏像がボワッと浮かび上がるように見せている。この現代の宝の箱が、横に7つ、縦に4つ、幾何学的に並び、その中に2本のコンクリート打ち放しの柱が位置する。背後は、鈍く金色に光る真鍮の壁で、展示室全体が御堂の中にいるようだ。観覧者は、この仏像群の中を正面、側面、背後からと順路などなく、自由に浮遊することになる。そして仏像を見つめ飛鳥時代に思いを巡らせる。
この並列の構成は、浄瑠璃寺や三十三間堂のそれと同じ思想だ。これが現代に具現化されていることに、何度訪れても感動してしまう。